◾️アメリカの投資家が、日本で仕事することを望む理由
私がにわかファンになった日経新聞の長寿人気連載「私の履歴書」。企業買収ファンドの仕組みを1970~80年代に創ったアメリカ人投資家のヘンリー・クラビスさんの連載は10月中に終わりました。なんとか30回読みました。毎回タメになる教訓がビシッと含まれていて、完結で力強い。おそらくクラビスさんの語り口そのものなのでしょう。なぜなら、11月から始まったモンベルの創業者・辰野勇さんの連載はガラリと変わってのんびり物語調だから。
たいへん示唆に富んでいたクラビスさんの連載でしたが、良くも悪くも印象の残った回のひとつが、16回目の「日本の未来」。
冒頭の文章はこう始まります。
「今30歳だったら日本で仕事をする」。ジョージ(ロバーツ共同創業者)が話している。私もそうしたいと思う。
一見、リップサービスに見えて、深読みすれば、企業買収ファンドの視点からしたら「日本の企業は買いどきだ」という意味にも取れました。
『会社四季報』を見ていると、誰もが知る大手日本企業にがっつり外国資本が入っているところがなんと多いことか…。なおかつクラビスはこう続けます。
日本の転機は1980年代だった。世界を席巻するチャンスをのがしたのだ。米国の株価は安く、日本企業は好業績と強い円を誇った。優良な米企業を買いまくれば、「世界の所有者」になれていた。
私は当時中学生だったから、バブル期にどのぐらい日本企業が米国企業を買っていたかは知らない。ゴッホの絵やエンパイヤステートビルを買っていたのはよく知っています。
調べてみると、エンタメ系企業、ホテル、球団などを買収して、「アメリカの魂を買い漁った」などと叩かれまくっていたようですね。
ソニーの盛田昭夫会長、なついなぁ。盛田さんがアメリカに乗り込んで、トランジスタラジオを必死に売り込んだエピソード(当時はSUNNYBOYだとかSONICBOYとか言う、SONYの前身となる名前をつけていました)、高校時代に読んで感銘を受けました。
あのときのSONYは、めっちゃ輝いてた。
◾️Japan as Number One
日本は製造業(ものづくり)の視点でしか成長できない国だと最近つくづく感じます。失われた30年で、日本はIT分野で頭角を表せませんでした。
テレビを見ると、日本の伝統的ものづくりを外国人が見学して「日本スゴイデスネ」番組、外国人が飲食店や作業所に押しかけて弟子入りしてノウハウを丸盗みする番組、製造現場をクローズアップして「日本のものづくりすごい」と褒めまくる番組が多い。
本当に危険だと思う。どんだけお人よしなんだと思う。バカなんじゃないか、とすら思う。
ものづくりをヨイショしまくった結果、円安の追い討ちも加わって、今や日本は中国・韓国・台湾の下請企業となった。家電も造船も半導体も持っていかれた。今度は部品産業として、自分たちが大好きな「製造業」に返り咲きつつあります。
ひそかに私の希望として、少子高齢化に賭けていたところがあります。高齢化はさておき少子化は、オートメーション化・AI化が進む社会では有利に働く可能性がある。つまり、機械が人間の代わりに働いてくれることで、労働人口は少なくとも社会は成り立つ。そうなれば、若年人口の多さは、かえって足枷になる。食べる口数が多いからだ。
…と思っていたのですが、そもそも土台として、日本という国はITめっぽう苦手、新しいしくみづくりも苦手。今年4月の台湾・花蓮の地震で、行政関係者がLINEみたいなツールでガンガン連携とりあって、避難所にすぐwi-fi入って、あったかいご飯が配られて、ベッドも整えられて…というのを見て愕然としました。(花蓮の太魯閣国立公園、昔行ったことがありますが、かなり山深いところにあります。バスでゴトゴト険しい山道を登っていき、あまりにかかるのでプチ後悔した覚えが)
ええー、台湾の何倍も各地で大災害に遭っている日本は、30年前の阪神大震災から避難所の環境、さほど進化ないんですけどぉ…。
でも、まだ私は希望を失っていません。なぜなら、私は日本人だから。
日本人の精神が、弱いところはあるにせよ、善良で他者への思いやりがあり、真面目で優れていることは間違いないからです。
Japan as Number Oneという言葉を聞いて育った世代としては、世界トップの国という輝かしい称号は忘れられませんが、もっと精神的に成熟した方向で、世界のピースメーカーとして日本を再び輝かせることができないだろうかと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。