私の本棚にはサマセット・モーム『人生の絆』全4巻の文庫本があります。読んだ時期は覚えてないけど、たぶん30歳前後。当時えらく面白くて「いつかまた読もう」と、とっておきました。
そして、20年近くの熟成期間を経て、もう一度読みました。…驚くほど内容を覚えていませんでした。主人公のフィリップが「爪に火を灯すような困窮生活を送っていた」といううっすらとした記憶しか残ってないのです。
読み返すと、フィリップは両親のいない子で、叔父夫婦に引き取られ、成人が近づくとやれ画家になる、やれ会計士になると、親が残した信託財産を無駄に遣い、挙げ句の果てに自業自得で困窮した不義理な友人や、自分の利しか考えてない片思いの相手を金銭的支援してしまう哀しき物語でした。ようやく20代半ばで亡き親と同じく医師を志しますが、無駄遣いしすぎてお金が足りなくなり困窮するのです。
今回は大人目線も濃くなり、「なんという浪費、もっと有効に使えよ…」と思いながら読んでいましたが、一方で、この無駄尽くしの人生こそが豊かさ、この世に生まれてきた面白さなのではないか、と考えるようになった自分に驚きました。
たとえば、学生時代に、友人と分不相応な将来の夢を語り、朝まで飲み明かし、健康を害しつつ、朝帰りする無駄さ加減。お互い夢は叶えていないし、あれから連絡を取り合うこともない。思い出したら恥ずかしいぐらいの黒歴史。でも、その時間は「なければよかった」と思うものではなく、「あれはあれで充実してた」と思える時が来ます。
『人生の絆』は、モームの半自伝的小説です。モーム自身も両親を失い、叔父夫婦に育てられ、医者になり、吃音という劣等感を抱えていました(本作では、足の障害)。
「モームも医師になるまで、さぞかし紆余曲折したのだろう」と思いつつ経歴を調べてみると、なんとモームは人生の寄り道とは無縁で、若くしてすんなり医師になっておりました(当時の医師教育2年ぐらい)。
おそらく孤児育ちのモームは、人生を無駄に過ごす余裕など一切なかったのでしょう。親の遺した財産を有効に使い、叔父夫婦の恩と義理に報いるために、自分がやりたいことを抑え、少しでも早く経済的・社会的に自立することを優先してきたのだと思います。
モームは『月と六ペンス』でゴーギャンをモデルに小説を書いていますが、本当は画家に憧れていたのかもしれません。『人間の絆』でも、ゴーギャンをモデルにした人物が少し登場します。
『人生の絆』は、モームが本当は歩みたかった人生なのだと思いました。たどりつく先はそんなに変わってないのかもしれませんが、そこには大いなる無駄がある、青春の彷徨がある――そんな人生を想像し、憧れたのではないでしょうか。
そう考えると、人生の失敗や寄り道もまた良し。つい効率や利益を追い求めてしまいがちですが、人生の価値とはまた別のところにあるのかもしれない、と思うのです。
ちなみに、私の手元にある『人間の絆』は旧訳で4巻立てなのですが、あまりに字が小さくてビビり、電子書籍で買って読みました。まさか「取っておいても、文字が小さくて読む気になれない」という未来が来るとは思いませんでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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