◾️鹿島茂という偉大なフランス文学者ビジネスマン
文学は死んだーー。「神は死んだ」的にカッコよく言ってみました()。
海外はどうか知りませんが、日本において「文学」というアカデミアは瀕死状態ではありませんか?
かつて文学部が隆盛だった時代もありますが、最近あまり聞きません。とりわけ古典のロシア文学やフランス文学、英米文学は、教養の基本でした。かくいう私は教養レベルには達していませんが、フランス文学が好きでした。フローベル、モーパッサン、スタンダール、バルザック、サガン…
知り合いにも、東大でフランス文学を修め、フランス留学まで果たした人がいます。もうこれ、ゴールは教授コース? あるいは翻訳家、作家、か…。いくら文学を嗜んでも、音楽家並みに狭き門なのです。
そんな厳しいサバイバルの中、鹿島茂という作家はすでに人気のなくなった「フランス古典文学」を武器にして現代で戦っています。日本では読む人も激減したフランス文学で得た「教養」を、現代風に上手に、美味しく、料理して「ボナペティ(召し上がれ)」してくれるのです。
(最近は買ってないので知りませんが、ちょっと高級感ある女性誌にはよく鹿島茂先生の連載が載っていたものです。女性編集者受けも抜群にいいんでしょうね)
HP:ALL REVIEWSより
◾️その馬車は「高級車か、軽自動車か」が読み解ける無用の知識
日本人、もしくは現代人からすると、「馬車は馬車やないか!」ですが、じつは本場ヨーロッパでは、ものすごいバリエーションがあるようです。御者の有無、車輪数、無蓋か有蓋か、レンタルか所有か…で名前も金額もガラッと変わる。
たとえば、文学作品の中で、主人公が馬車に乗って颯爽と登場するシーンがあるとします。その馬車がベルリーヌ(有蓋の四輪四人乗り馬車)なのか、キャブリオレ(幌付き二人乗り二輪馬車)なのかで、そこから読み取れることはかなり違ってくるのです。
このことを鹿島茂は、現代にあてはめてこう例えます。
ある小説で登場する主人公が乗っているのは「メルセデス560SELなのか、あるいはスズキ・アルトなのか」(より今日的に言えば、タントとか、Nボックスかな)。
どちらのクルマが登場するかで、主人公の輪郭は大きく変わってきます。しかし、私たちと異なる時代を生きている人が読むと、メルセデスもアルトもどちらも“自動車”としか読み取れず、そのぶん人物理解、情景理解が浅くなるわけです。
鹿島茂は、フランス古典文学作品に登場する数々の「馬車」を詳細に解説し、作者が本来語っていたはずの登場人物の経済状況や当時の社会的背景をやさしく紐解いてくれるのです。
とくにフランス文学を読んでなくても、この馬車のバリエーション、当時のフランス社会の風俗は面白く読めます。
フランス人をはじめとするヨーロッパ人にとって、馬車とは単なる移動・運搬手段ではなく、財力を表すものであり、ステイタスだったのです。
まあ、馬車の名前や種類を知ったことで、何の役にも立たない無用の知識ですよね。でも、この無用の知識こそが面白いんだな。これこそ「教養」なのかもしれません。
アニメや映画の中に登場する「馬車に憧れたことがある人」はぜひ読んでほしい一冊です。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。